労働の成果は社会の基礎である。社会は秩序である。秩序を守り、維持し、変えていくのは、労働の成果である。労働の成果をあげることは、これらへの参加と貢献である。
生物にはさまざまな形があり、その形がその生物の生き方を定めている。馬は草を食い、蚤は人の血を吸う。この逆をやれといってもそれはできない。そして人間もその生物の一つであり、人間という形をしているが故に、その形に即応した生き方が当然に定められている。人は草も食えず、血も吸えず、できるのは労働だけである、と。
(中略)
この、形に従って生きていることが、その生物の秩序となっているように、人間では働くことが、その秩序の基礎となっている。(中略)働くことをやめれば人は心の安定を失い、社会は秩序を失う。従って働くことは自然の摂理なのである。
山本七平(2015)『「常識」の研究』p167, 文春文庫.
流動化
流動化が可能なものを貨幣的労働の成果といい、そうでないものを非貨幣的労働の成果という。貨幣は労働の成果を流動化したものである。貨幣即ち現金は流動性そのものといえる。
両者の唯一の違いは流動化が可能か否かであり、それは、労働の成果としての価値に影響しない。労働の成果の多くは非貨幣的労働のそれである。
注意点
貨幣的労働の成果は、流動化することによって現金を得られるがゆえに、非貨幣的労働のそれよりも上位に見る風潮を招来するが、間違った見解である。現金という明確な形になるがゆえに、それが報酬や評価であるとし、その多寡を即ち社会的評価であるとする考えは、位置づけを適切にしなければ、誤った判断を招来するので注意を要する。
経営資源
労働の成果を新しく生み出す力、これを労力という。流動化した過去の労働の成果、これを資金という。これらを総称して経営資源といい、経営資源の投入によって労働の成果をあげる。
営利活動
営利活動は、新たにあげた労働の成果を流動化する活動である。将来キャッシュフローの創出は、営利活動が適切になされた結果である。労働の成果をあげることと、それを流動化することは混同すべきでなく、どちらかに問題があれば、営利活動は成立しない。